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名古屋地方裁判所 昭和38年(ワ)1909号 判決

原告 新栄自動車株式会社

右代表者代表取締役 団迫鉦一郎

右訴訟代理人弁護士 佐治良三

同 太田耕治

被告 国領薫

右訴訟代理人弁護士 花田啓一

同 安藤巌

同 小山斎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告訴訟代理人は「原告と被告との間に雇傭契約が存在しないことを確認する。訴訟費用は被告の負担とする」との裁判を求め、被告訴訟代理人は主文同旨の裁判を求めた。

≪以下省略≫

理由

一、被告の雇用と解雇について

原告会社が肩書地に本店を置き、市内四ヶ所に営業所を設けてタクシー営業を営む株式会社であり、被告が昭和三六年五月四日原告会社の配車監督として入社し、二ヶ月間の監督業務見習期間を経て、原告会社池下営業所に配属され、その後昭和三八年四月から、原告会社従業員で構成される労働組合の役員となり、労組の在籍専従者となっていたこと、昭和三八年九月五日原告会社が被告に口頭で解雇の告知をなすと共に解雇予告手当金を提供したものであることは当事者間に争いがない。

二、被告の経歴詐称について

(一)  被告が原告会社に入社の際提出した履歴書には職歴として学校卒業後家業に従事し、その後昭和三四年三月大阪市浪速区所在吉田電気商会へ入社し、昭和三六年三月同社を退社したとの記載があり、被告は入社の際の面接において、右履歴書の記載に間違いはない旨を述べたこと、被告が昭和二六年八月から昭和二八年三月までは尼ヶ崎市尼ヶ崎青果株式会社に勤務し、昭和二八年四月から昭和三〇年二月までは劇団前進座に入って居り、昭和三〇年三月から昭和三〇年一一月までは株式会社名食に勤務し、弁当の注文取りをしていたものであることは当事者間に争いはない。

(二)  更に証人前田清治、同国領操の各証言被告本人(第一回)の尋問の結果によれば、昭和三〇年一一月から昭和三一年六月まで被告は名古屋市中村区において前田清治らと有限会社前田商店の名で弁当仕出業を営んでいた(経営者は誰かはともかくとして)事実が認められ右認定に反する証拠はない。

(三)  原告会社は右尼ヶ崎青果株式会社に被告が勤務中、現金三〇、〇〇〇円及び箱入れのリンゴ、バナナ等を横領ないし窃盗したがため被告は右会社を解雇されたものであると主張し≪証拠省略≫ているが、≪中略≫右事実を認めるに足る証拠はない。そして被告が右青果株式会社に於て生姜のセールスに従事中、右会社に於て許された仕切票の範囲を超えて売買したがため、右会社に金三〇、〇〇〇円の損害を与えその結果被告自ら右会社を退社するに至ったものであることについては被告の自認するところである。

(四)  次に原告会社は被告が劇団前進座に勤務中現金三〇、〇〇〇円を着服横領し、これが発覚したため右劇団を解雇されたものであると主張し前記甲第三号証にはこれに添う記載がなされているが、右事実は被告本人尋問の結果(第一回)に照したやすくこれを措信することはできず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。そうして被告が昭和三〇年正月の福岡興業の際オルグとして入場券の売捌きに当り、入場券発売の際に許されていた一割の値引きを利用して約三〇、〇〇〇円の金額を料理屋等の売込み先への手土産代に充てたため劇団前進座から自己批判を命ぜられ、これに反撥して被告自ら右劇団を退団したことについては被告の自認するところである。

(五)  証人安藤秀夫の証言及び被告本人尋問の結果(第一回一部)によれば被告が株式会社名食に勤務中の昭和三〇年一〇月、被告が自らその努力により開拓した中村区大船町所在の肥料問屋森岡産業からの約七、〇〇〇食の弁当の注文を受けた際、右森岡産業からは一食八五円で注文を受け取りながら、右株式会社名食に対し一食七〇円で注文を受け取ったと報告し、一食につき一五円計約一〇〇、〇〇〇円の金額を利得し、更に株式会社名食が株式会社丸紅の地下食堂の経営を止めた後約三日間被告は右丸紅の地下食堂で母親及び弟らと共に右株式会社名食の材料を使用して弁当を作っていたことが認められ右認定に反する証人国領操の証言及び被告本人尋問の結果(第一回一部)は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

(六)  また証人前田清治の証言及び被告本人尋問の結果(第一回一部)によれば、被告が前田商店で弁当仕出しの営業に従事していた際、被告は営業資金を得るため国領商事名義で株式会社名古屋相互銀行から金三〇〇、〇〇〇円を借入れるに際し右前田清治の印鑑を使用し同人を保証人としてその返済責任を負担させ、昭和三一年六月右前田商店から右商店の弁当容器等を持ち出しそのため右前田商店の営業が中断されたことが認められ右認定に反する被告本人尋問の結果(第一回一部)は措信し難く他に右認定を左右するに足る証拠はない。そうして昭和三三年五、六月ごろ、被告が右前田清治から金一〇〇、〇〇〇円を受取ったことは当事者間に争いがなく、証人前田清治の証言及び同人の証言によって真正に成立したと認められる甲第一〇号証によれば右一〇〇、〇〇〇円の金員は被告が右前田清治を国鉄名古屋駅裏に呼び出し、その交付を要求したものであり、右前田清治はこれら各事実によって被告を告訴しようとしたことがあることが認められ右認定に反する証拠はない。

更にまた、昭和三八年七月末日午後原告会社本店書類倉庫室で前田清治及び鈴木敦雄の両名と被告が話し合いの際、被告が右両名に殴打されたことは当事者間に争いなく、証人前田清治及び同鈴木敦雄の証言によれば、右両名が被告を殴打したのは右認定の各事実に基因するものであることが認められ右殴打事件の際原告会社本社に被告の通報によって警察のパトロールカーが出動したことは被告本人尋問の結果(第一回)によって認められ右認定に反する証拠はない。

(七)  以上(一)ないし(六)の各事実によれば被告は原告会社入社に際し、その経歴を詐称したものであるといわなければならない。

三、本件解雇の不当労働行為性について

(一)  原告会社は本件解雇は右二で述べた被告の経歴詐称に基くものであると主張し、被告は不当労働行為として無効であると主張するのでこれについて考察する。

先ず原告会社における労組結成の推移について見るに、従来原告会社には新栄自動車労働審議会が存在したが、昭和三七年八月二九日右審議会所属の約一〇〇名の従業員によって新栄タクシー労働組合が結成されたこと、その頃右組合に加入しなかった審議会所属の従業員五〇名によって新栄自動車労働組合(委員長加藤重雄、副委員長金子鉦次及び沢田某、書記長加藤豊)が結成されたこと、昭和三七年九月一〇日右両組合が統一され、委員長に佐伯美智之介、副委員長に杉本秀夫、書記長に佐々木淳一が選出され、昭和三八年三月一一日右組合定期大会で被告が副委員長に選出され、昭和三八年八月一八日組合定期大会の役員改選で被告が書記長に選任されたことは当事者間に争いがない。

そうして証人佐伯美智之介の証言被告本人の尋問の結果(第一回)によれば新栄自動車労働審議会の存在にも拘わらず新栄タクシー労働組合が結成されるに至ったのは右審議会の存在によっては原告会社の従業員間にその労働条件が改善されないとの不満があり、ことに原告会社古出来町営業所の従業員の小型手当の要求に原告会社が当初誠意ある解答を示さなかったこと(後に金五〇〇円支払いされることになった)が契機となったもので、被告は右組合結成の準備委員長となって右組合結成に力を注ぐと共に、右組合が結成された際は委員長に選出された。また昭和三六年一一月一六日組合員五〇名が脱退した。以上の事実が認められ右認定に反する証拠はない。

(二)  次に原告会社の労務対策等について見るに被告本人尋問の結果によって真正に成立したと認められる乙第二四号証及び証人佐伯美智之介の証言被告本人尋問の結果(第一回)によれば次の事実が認められる。

(1)  原告会社は右新栄タクシー労働組合が結成される前日の昭和三七年八月二八日夜、その職制である山本課長、中根某を従業員杉岡某、長谷川某、伊藤某、中垣内某、金子某の各家庭へ訪問させ、上部団体へ加入しないよう説得させた。

(2)  新栄タクシー労働組合が結成されてからこれが新栄自動車労働組合と統一されるまでの間に、新栄自動車労働組合員及び原告会社職制が中心となり新栄自動車労働組合へ加入しなければ新車には乗せないとか金三、〇〇〇円の賃上げをしないと述べて右組合への加入をすすめ、右新栄タクシー労働組合の切崩しを図り、右切崩しに加担した新栄自動車労働組合の金子鉦次及び加藤豊らは切崩しが失敗した場合の身の振り方を考え原告会社に退職金を積むことを要求し原告会社は金子鉦次名義でこれを預金した。

(3)  また原告会社社長団迫鉦一郎は被告が組合役員をしていなかった際に、組合の機関決定によって団体交渉委員に選出され団体交渉に出席すると組合三役以外に平の組合員である被告が団体交渉に出る必要はないと述べて被告の出席を嫌い、被告解雇後は被告に原告会社内の立入を禁止し、被告が原告会社との団体交渉に出席したところ、原告会社交渉委員は席を立ってこれを拒否した。

(4)  原告会社は、昭和三八年一一月、元新栄自動車労働組合役員をして組合員五〇名を金二、〇〇〇円で買収し労働組合から脱退させることに成功した。

以上の事実が認められ右認定に反する証人山本重雄、原告会社代表者団迫鉦一郎の供述は措信し難く他に右認定に反する証拠はない。

(三)  然しながら右認定以外の原告会社の労務対策として被告主張の第三の二の(一)の(2)の(ニ)、(ホ)、(ト)、(ヲ)の各事実については≪証拠判断省略≫右事実を認めるに足る証拠はない。

(四)  そこで本件解雇に至った経緯及びその後の事情について考えて見るに先ず昭和三八年七月末日午後原告会社本店書類倉庫室で被告が前田清治及び鈴木敦雄の両名により殴打され、警察のパトロールカーが出動したことは前に見たとおりである。そうして≪証拠省略≫によれば、被告の殴打事件のあった約一週間後の昭和三八年八月六日ごろから三回にわたり原告会社東新町営業所他三営業所宛に被告が原告会社入社に至るまで、前進座に勤務したり、駅裏でチンピラに加わっていたりし、またある店では売上金をごまかしたり、よそで金を借りたままどろんし、その店を破産させたりしたから今度の選挙には被告を組合の書記長に当選させるなとの趣旨の被告を誹謗する文書が送付された。そうして組合員は第一回目に送付された右文書の用紙、インク、原紙のシワが原告会社のものに似ていると騒いだ事実が認められ、右認定に反する証人山本重雄の供述部分は措信し難く他に右認定を覆すに足る証拠はない。そこで、原告会社は昭和三八年九月五日被告を経歴詐称によって解雇したが、原告会社が被告を解雇した際原告会社はその四ヶ所の営業所及び本社倉庫に請求原因に記載されたB紙三枚による解雇通知と題する張紙を掲げ、その後全従業員に被告の経歴詐称と非行事実を記載した文書を郵送し、九月三〇日には本件に於ける訴状の写を全従業員に郵送したことについては当事者間に争いがない。

(五)  また被告の原告会社入社後の勤務振りを見るに、証人山本重雄の証言、原告会社代表者団迫鉦一郎の尋問の結果によれば、被告は入社以来労組専従となるまでの一年一一ヶ月近く配車監督として真面目に勤務し、有能な社員であったことが認められ、右認定に反する証拠はなく、被告は原告会社の経営秩序に入社以来約一年一一ヶ月近く順応していたことが認められる。

(六)  以上の(一)ないし(五)で認定した被告の組合における地位、原告会社の労務対策、被告の入社後の勤務状況解雇後の原告会社の解雇事由の告知方法に前記二で見た原告会社総務部長山本重雄の被告の解雇事由調査の仕方、その内容等を総合すると本件解雇は被告に経歴詐称のあったのを奇貨としこれに名を藉りその実は組合結成以来常に中心となって組合活動に従事して来た被告について、これを企業及び組合から排除しようとしてなされたものと推認するのが相当である。従って本件解雇は労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為として無効であると云わなければならない。

四、結論

よって原被告間には依然として雇傭契約が存続しているものと言うべく、これが不存在確認を求める原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山田正武 裁判官 川坂二郎 小島裕史)

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